作品一覧


単行本

詳細ページはこちら

連載

「19世紀末のパリと日本」

『ふらんす』 (白水社 1998年4月~1999年3月)

(1)1878年万国博覧会と日本美術  (2)欧州の旅・パリのキャフェ  (3)ユゴーとゴーチエ  (4)“失われた時を求めて” (5)浮世絵とパリ  (6)印象派と日本  (7)S・ビングのこと  (8)ゴンクールと日本美術  (9)1900年パリ万国博覧会  (10)1900年パリ万国博覧会  (11)「遠い異国」パリ  (12)世紀末のモンマルトル。

 1900年万博の要員としてパリに来ていた社会主義者の酒井雄三郎が、ホテルの窓から落ちて死んだ事件を、「林が刺客を雇って殺したのだ」と林を憎む者たちから、根も葉もない噂が立てられ、百年が経った。私が調べた結果は、酒井の失恋からの自殺と判った。しかし、当時の日本の新聞はこの事件を連載小説仕立てにし、林の犯行として描くという卑劣な取り上げ方をしたのである。

 この小論ではパリや美術のエピソードだけではなく、明治日本の批判にまで及んでいる。


エッセイ

「西洋」の衝撃と日本の近代」『ちくま』1976年6月号
「歴史小説と私」『歴史と人物』(中央公論)1977年2月号
「史実と虚構の間」(共同通信)1977年6月7日
「能登・時国家を訪ねて」『ミセス』1977年6月号
「幕末維新期の史料から」『歴史読本』(人物往来社)1977年10月号
「赤鉛筆の鬼」『婦人公論』1977年11月号
「民族学博物館を訪ねて」『ミセス』1978年5月号
「祖父林忠正のこと」『朝日百科・世界の美術』No.14 1978年7月2日号
「林忠正と印象派の画家たち」増刊『印象派・光と影の画家たち』(中央公論社)1981年9月号
「唐木先生のこと」(『唐木順三全集』筑摩書房刊)第16巻月報1982年2月
「高岡町文化と自由―越中町文化再考」『富山新聞』1985年1月1日
「ジャン・ユゴー氏の手紙」『ちくま』1984年7月号
「浮世絵を売った憎い男」『ちくま』1987年5月号
「パリにおける林忠正と印象派と浮世絵」(小林忠氏、大谷孝吉氏との鼎談)『目の眼』1987年9月号
「三つの墓」『山紫水明』1988年
「ドガ展・ソフト帽を被った男の肖像」『東京新聞』1888年10月28日
「交友を通して見た林忠正」『ゴッホが愛した浮世絵』(日本放送出版協会)1988年11月刊
「ルドン・ゴーギャン・ドラクロアの絵はいつ日本に入ったか」『ちくま』1989年9月号
「知性を支えるものは何か」『読売新聞』1990年7月4日
「甦る『花の都パリ』」(書評)『Figaro ジャポン』1990年3月号
「“近代日本”の資料を追って」『古書通信』1993年12月号
「“若者”はどこに」『財界』1995年9月26日号
 (“若者らしい若者”として、「明治維新を実現させた志士たち」「昭和初期の、命を賭けて思想を守ったマルキストの青年たち」「大東亜戦争時の特攻隊の勇士たち」を挙げたところ、頑迷なマルキスト女性から絶交された。現在なら、何が問題なのか判らない人が多いと思う)
「フランス絵画と浮世絵―東西文化の架け橋―林忠正展」カタログ解説(高岡市美術館・茨城県近代美術館・ふくやま美術館)1996年9月28日~97年1月26日
「本地獄」『古書通信』1998年7月号
「印象派を理解した唯一人の日本人」『こんせんさす』1999年12月号
「林忠正―浮世絵を世界に認めさせた男」『北国文華』1999年冬号
「二つの世界に生きた日本人」『古書通信』2000年11月号
「『近きより』など」『古書通信』2005年4月号(「心に残る雑誌特集」より)
「ドビュッシーとジャポニスム」『オーケストラ』(読売交響楽団)2011年12月号
「フランスと私」『ふらんす』 (白水社)2012年6月号



講演・講座

「林忠正と富山」(富山市立図書館)1987年5月27日
「高岡と林忠正」(東京高岡会)1987年7月9日
「浮世絵と印象派を結ぶもの」(ブリヂストン美術館土曜講座)1987年8月8日
「林忠正と浮世絵」(太田記念美術館美術講座)1989年2月11日
「幕末の高岡と浮世絵・印象派」(高岡市教育セミナー講座)1990年7月22日
「加賀藩と近代日本の夜明け」(石川県教育文化財団講座)1991年6月1日
「印象派と浮世絵」(武蔵大学文学部講義)1991年11月16日
「日本美術の紹介者林忠正」(日仏会館講座)1993年10月27日
「印象派と林忠正」(ブリヂストン美術館土曜講座)1997年10月4日
「ポール・ルヌアールと林忠正」(東京国立博物館)2006年11月18日
 同時期に行われた「ポール・ルヌアール展」のための講演。ポール・ルヌアールは19世紀末のデッサンの名手。林が日本の画家たちのために持ち帰ったその作品197点を、林の死後、東京国立博物館に寄贈したもの。
「林忠正」(日仏会館講座)2009年12月5日
「林忠正とその時代」(富山県人生涯カレッジ・第2回講座)2010年10月30日
「富山の文明開化と林忠正————『蒼龍の系譜』にちなんで」(富山県郷土文化講座)2011年7月27日
「黒田清輝と林忠正」(富山県立近代美術館)2012年5月21日


シンポジウム

「林忠正とジャポニスムの国際シンポジウム」 東京 2005年11月1日-13日
 ヨーロッパからも5人の研究者が参加。定員を大きく上回った聴衆とともに、熱のこもった討論が行われた。
「林忠正と日本の近代」(基調講演)木々康子
「ブリュッセルの日本美術コレクション」高木陽子
「林とヴィクトリア・アンド・アルバート美術館」G・アーヴァイン(同館学芸員)
「松尾儀助・若井兼三郎・執行弘道」瀬木慎一
「ハンブルク工芸美術館の所蔵作品と林」N・フォン・アッヘンバッハ(同館学芸員)
「パリの商業界における林」G・ラカンブル(エコール・デュ・ルーヴル教授)
「林と日本人美術家のジャポニスム受容」手塚恵美子
「ゴンクールの極東美術コレクションと林」小山ブリジット
「林とパリのイタリア人芸術家」M・モスカディエッロ(ボローニャ大学院)
「林と日本における“芸術”及び“工芸”の概念の確立」山梨絵美子
「林の日本への西洋美術紹介」馬渕明子
「総括」高階秀爾

     『林忠正 ジャポニスムと文化交流(英和文)』
林忠正シンポジウム実行委員会編 (ブリュッケ) 2007年2月

上記シンポジウムの報告書

シンポジウム「富山が生んだ法曹界の巨人 磯部四郎」 高岡法科大学 2005年12月10日
「林忠正と磯部四郎」(基調講演)木々康子
「第一回衆議院選挙と磯部四郎」栗三直隆(富山県郷土史家)
「磯部四郎と旧民法」平井一雄(中京大学大学院教授)
「磯部四郎と明治民法」岡孝(学習院大学教授)
「磯部四郎と商法」高倉文人(高岡法科大学助教授)
「弁護士磯部四郎と刑法」村上一博(明治大学教授)
「出版人から見た磯部四郎の魅力」渡辺左近(信山社社長)
(前記平井一雄・村上一博編「磯部四郎研究―日本近代法学の巨擘」 はシンポジウムの講演をまとめたもの)

「高岡金町楽市記念シンポジウム」(富山大学芸術学部実行委員会)2008年10月
「林忠正について」(基調講演)木々康子
その他工芸関係者の討論が行われた。

(2012年11月30日記)